茶道を人一倍愛した”究極のお茶オタク” 千宗旦の魅力を語る
茶道は、室町時代からの日本文化であり、誰もが知るところなのですが、 一般的には敷居が高く、とっつきにくいというイメージを持たれているようです。 その理由として考えられるのは、
・茶道の作法が分からない
・着物や道具にお金がかかりそう
・浮世離れした超マニアックな人たちの世界⁉
他にも理由があると思いますが、茶道の世界は浮世離れした超マニアック な人たちの世界で、素人が気安く踏み込めないと思われている方のために私なりの茶道の魅力をお伝えしたいと思います。
それでは、今回のテーマ『茶道を人一倍愛した”究極のお茶オタク”千宗旦 の魅力』について迫っていきたいと思います。
”究極のお茶オタク”千宗旦とは
侘茶をつくった千利休は、教科書やちょっとした映画やドラマに出てくるので 多くの方がご存じと思います。 千利休の孫にあたるのが、千宗旦(せん そうたん)です。
子供の頃は大徳寺(臨済宗の本山)で修業をしていましたが、茶の湯の世界の3 代目を継ぐにあたり 22 歳のとき 還俗して、千家の茶道の家元になりました。 その後、正保 3 年(1646 年)3 男の江岑宗左(33 歳)に家督を譲り代替わり をします。この時、宗旦 68 歳。
お寺での修行された方なので清貧の侘びの世界をとことん作り上げたことが想像出来ます。
ところが、普通だったら隠居する68歳の時、屋敷の裏に”今日庵”という茶室を つくり 4 男の仙叟を連れて引っ越し、そこでまた茶道を始めたのです。 これが裏千家にあたります。
表千家と裏千家って何?
表千家と裏千家は何が違うの?と質問されると
「隠居した家元が裏でまた始めた流派」と答えています。
他の例えでは「スティーブ・ジョブズが Apple を追われた時、ピクサーを作ったみたいなもの」に近いです。宗旦はジョブズとは違い、追われたわけではなく侘茶に魅了され、2 度にわたりトップをつとめました。
宗旦の後進育成
宗旦の 3 男宗左が表千家を、4 男仙叟が裏千家を継いでいます。 長男と次男は、先妻との子で、三男、四男が後妻との子です。 長男は宗旦に勘当されていますが、次男は茶道の武者小路千家を作っています。
後進を育成していること は、茶道を人一倍愛しているからに違いないです。失礼ながら、”究極のお 茶オタク”と呼ばせていただきます。
表千家と裏千家ともに、さらに武者小路千家も、現存する法人であることを伝えることで、私が 宗旦に抱く畏敬の念を理解ください。
子供たちが各々父親と同じ職を選び、それぞれ信念をもって「道」を極めて いるから”茶道”として、日本文化として今日まで続いています。 宗旦が 68 歳で隠居してまた「道」を起こす”徳とバイタリティー“に少しでもあやかりたいと思います。
お茶オタクあるある
話は少し脱線しますが、「お茶オタクあるある」について紹介したいと思いま す。
▼道具オタク
茶道を稽古して自分の道具が欲しくなって、もっと良いものが欲しくなって、 だんだん道具が増えて、それでも作者が違う、由緒がちがう道具が欲しくな って・・・という道具オタク。
大河ドラマ”麒麟がくる”では松永久秀が自分のコレクションの茶道具に囲ま れながら自害する場面も迫力がありました。
▼体験オタク
茶会とあらば距離も時間も関係なく飛んでいく茶会オタク。広島の厳島神社 の茶会や京都の大徳寺、三重の伊勢神宮へと関東から出向くのも普通です。その季節その時の茶会を体験しに行くのです。斯く言う私は国宝の曜変天目茶碗を3つともこの目で見たいと東京世田谷にある 静嘉堂文庫美術館を見学し、その数日後に滋賀・奈良を一日で回ったりし たこともありました。
さいごに
いかがでしたでしょうか?
以上が茶道を人一倍愛した”究極のお茶オタク”千宗旦の魅力です。分かっていただけましたでしょうか?
超マニアックな人たちの世界は、敷居を高くしてしまう一つの理由でもありますが、実はその文化が発展し今に残っているのは、”オタク”がいるからでもあると思っています。